1972年に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)総会が宣布した「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」に基づいて世界遺産として登録されている遺産。
百済歴史遺跡地区におけるユネスコ世界遺産登録発表
大韓民国中西部の山地に位置する百済の古都であった3つの都市に残る遺跡は、近隣地域との頻繁な交流を通して文化的全盛期を謳歌した古代百済王国の後期時代を代表します。
百済は、紀元前18年の建国から西暦660年の滅亡までの約700年間にわたって存続した古代王国の一国家で、朝鮮半島で形成された初期三国の一つでした。百済歴史遺産地区は、公州市・扶余郡・益山市の3地域に分布する8つの考古学遺跡地からなります。
公州熊津城と関連のある公山城と宋山里古墳群、扶余泗沘城と関連のある官北里遺跡・扶蘇山城・定林寺址・陵山里古墳群・扶余羅城、そして泗沘時代において百済の第二の首都であった益山地域の王宮里遺跡・弥勒寺址などで、これらの遺跡は475年から660年までの百済王国の歴史を見せています。
百済歴史遺跡は、中国の都市計画・建築技術・芸術・宗教が取り入れられて百済化されたという証拠を見せており、このような発展を通して築かれた洗練された百済文化を日本や東アジアへと伝播した事実を証言しています。