公州宋山里古墳群は、百済熊津都邑期(475∼538年)の王陵群です。陵の構造や遺物が百済文化の優秀性と古代東アジアにおける盛んな文化交流を証明するという点でその価値が認められました。
史跡第13号の宋山里古墳群は、百済熊津都邑期(475∼538年)における王宮の面影が宿る地で、錦江南部の丘陵地にあります。日本植民地時代に行われた調査によりますと、約数十基の陵があったそうですが、現在は武寧王陵をはじめとする7基の陵のみが整備されています。
1号墳から5号墳は、代表的な百済様式とされる石造りの横穴式石室構造になっており、6号墳と武寧王陵は、当時中国で広く流行したレンガ造り(磚室墳)になっています。
横穴式石室墓
煉瓦塚
宋山里古墳群 - 春
宋山里古墳群 - 夏
宋山里古墳群 - 秋
宋山里古墳群 - 冬
武寧王陵は、百済第25代武寧王とその王妃の陵で、三国時代の古墳において被葬者の身元が分かる唯一の王陵です。1971年に5号墳と6号墳における排水施設の工事中に偶然発見され、約1,500年ぶりにその姿を現しました。当時の様子そのままに完全な状態で発掘されたため、百済史のみならず古代史の研究において多くの資料となっています。特に、陵の被葬者が武寧王であることを示す誌石(墓誌)の出土は、世界中を驚かせました。
1970年代の発掘の様子(外部)
1970年代の発掘の様子(内部)
武寧王陵内部
3D武寧王陵内部復元
武寧王陵は、手付かずで荒らされた形跡が全くない完全な状態で見つかったため、内部には多くの遺物が残っていました。その数約4,600点に達し、そのうち12点は国宝に指定されています。陵の被葬者が武寧王であることを示す誌石(墓誌)をはじめ、金製冠飾・耳飾り・首飾り・腕輪・環頭大刀・銅鏡・石獣・陶磁器・五銖銭・ガラス玉・火熨斗などの様々な遺物が出土しました。
これらの遺物からは、百済文化の優秀性のみならず周辺国家との幅広い交流による国際性も垣間見ることが出来ます。
石獣(国宝第162号)
武寧王の金製冠式(国宝第154号)
武寧王妃の金製冠飾(国宝第155号)
武寧王の金製イヤリング(国宝第156号)
武寧王妃の金製イヤリング(国宝第157号)
志石(National Treasure No. 163)